出島ばらいろって?
長崎でのみ生産されているブランド和牛です。
牛肉本来の鮮やかな紅色「薔薇の花色」と焼肉で好まれる「バラ肉」が厚いという特徴。
さらに長崎のイメージ「出島」を合わせて名付けられました。
平成12年にJA長崎せいひ独自のブランドとして誕生して以来、統一した飼養管理のもと牛たちにとって居心地の良い環境で愛情一杯に育てられています。
「霜降り」だけではなく「赤肉」と「霜降り」の適度なバランス。
「旨味」を追求し育てた牛肉です。
私たちが育てています
山中光喜さん(35)
山中光喜さん(35) 生産歴8年
異業種の仕事をしていた光喜さん。仕事上の都合と父親の光男さんから家業を継いでほしいと頼まれたタイミングが丁度良かった。とはいうものの生産の基礎も何も分からない。
退職してすぐ群馬の牧場で10カ月間の住み込みで研修を受け、それから父の牛舎を継いだ。
約200頭飼育しており、牛の変化に気付いてあげる、体調変化にすぐ気付いてあげる、牛は大きくなりすぎて起き上がれなくなることもあるから、そんな見回りの作業が一番大変だと言います。
地元・長崎のブランド牛なのだから、もっともっと長崎で消費されて欲しい!
「地元のモノは地元で食べるのが一番じゃないですか!」
とびっきりの優しい笑顔でそう話してくれました。
山中 茂さん(51)
山中茂さん(51) 生産歴30年
中学二年の時に父親が肉牛の生産を始め、そんな父親の牛舎を継ごうと決心し高校卒業後
1年間、地元を離れ平戸の牧場で住み込みで勉強してから実家に戻ってきた。
当時は、ぬれ子という生まれて1週間くらいの牛を買ってきて一貫生産していた。その後、黒毛とホルスタインの
掛け合せ=F1の生産等を経て、現在は市内で唯一の黒毛のメスのみに特化して生産している山中 茂さん。
常に目をかけてから作業しなければいけないことと、10月からの1月間で1年分の飼料(ロールワラ)の出荷
作業を行うことが特に大変だとか。
けれど「肉質がよかった時」「卸しているお店から、良かったよ!と言われた時」に何よりもやりがいを感じます!と目を細めます。
「脂肪の甘みと、あっさりして美味しい出島ばらいろをとにかく食べてみてください!」
森山寿樹さん(30)
森山寿樹さん(30) 生産歴2年
元々、牛の生産をやろうと志を持って大学卒業後、岐阜県の精肉会社へ就職し、加工から販売までを5年半みっちりと学んでから地元に帰り父親の繁利さんから引き継いだ森山寿樹さん。
生産歴は2年と短いけれど繁利さんはほぼ全ての作業を寿樹さんに任せており、その信頼感は絶大。
約140頭の黒毛牛を飼育しており、一番大変な作業は牛一頭一頭に目を配らなければいけない見回り管理。
生き物を扱っている以上、やはりその作業は相当に大変なんだそうです。
これからの夏の時期は気温が高く牛も弱りやすいので特に力を入れなければいけないのだとか。
出島ばらいろをもっと地元の人に食べてもらいたい!知ってもらいたい!
「とにかく一度食べてみてくれれば!」そう語る笑顔はとっても輝いていました。
林 勝行さん(63)
林勝行さん(63) 生産歴30年
父親の代から牛の生産を始め、林さん自身は建設関係の仕事をしながら手伝い程度に牛の飼育をして本格的に継ごうと決心し30代になってから父親の牛舎を継いだそうです。
現在、約190頭を飼育しており、奥さんと二人で世話をしています。
大きな牛の爪を専用のかまで切る作業が、何より肉体労働で大変だそうです。
だけど何より、エサを喜んで食べている元気な牛の姿を見ると「かわいかなぁ~と思うよ」と微笑む林さん。
そんな牛たちが病気をせずに元気良く肥えて、出荷の時に「良~なっとるなぁ」と出来具合を見る時が最もやりがいを感じる時だそうです。
「色が良く、やわらかく、安心、安全を消費者へ届けたいと思って作っています!」
渡部英二さん(48)
渡部英二さん(48) 生産歴23年
牛の生産を父親がやっていたことが自分も始めるきっかけとなったと語る渡部英二さん。
「苦しいけど楽しい!」
そう渡部さんが語るのは、月に4~5日程行く“牛の競り”(買い付け)だそうです。
それはなぜか、「いかに自分のスタイルに合った良い素牛を買ってくるか!」と力強く
おっしゃられます。
長年養われた経験で1年半先を見据え、研ぎ澄まされた集中力で自分の育て方にあった牛を買い付ける。
だから、上手に育てて理想通りの太り方、肉質の内容だった時に一番やりがいを感じるのだそうです。
「長崎にも安全でおいしい肉がありますよ!」
地元で生産されているお肉を、地元の人にもっと知って、もっと食べて頂きたい。
「長崎の人に、出島ばらいろのステーキやしゃぶしゃぶなど、いろいろな食べ方で食べて欲しいです!」
渡部孝信さん(45)
渡部孝信さん(45) 生産歴27年
父親が始めた牛の生産、当時は200頭程の飼育数でしたが、自分も牛の生産をやろうと志し
高校を卒業後、父親の牛舎で働き始めました。現在では600頭程飼育しています。
その牛舎の大きさ、広さは市内でも随一で、圧巻です。
太った肉質の良い牛を作る為に、エサが足りない牛や具合が悪い牛がいないか、
毎日365日の見回り作業は1日も欠かすことはできません!その中でも特に夜の見回りが大変です。
競りで自分が良いと思った牛を買ってきて、2年かけて育て、想像通りの牛に育った時と
自分の牛肉の取り扱い店や、食べて頂いたお客さまから「あの時の肉はおいしかった!」
と言われる瞬間が最もやりがいを感じる時です!と話されます。
「卸業者、肉屋、消費者、生産者、皆が喜んでくれる牛肉をこれからも作っていきたいです!」
岳下 肇さん(50)
岳下肇さん(50)生産歴21年
父親が水も電気も何もないところの開拓から始めた牛の生産。手伝い程度に携わってはいましたが
岳下さんが県の施設に1年間勉強しに行き、本格的に牛の生産に従事されたのは21年前だそうです。
それから6年目のある日、岳下さんが当時目標とされている方の牛舎へ見学に行った時に
「自分達は作物の中で、1番高級な食材を扱っているんだ。早く帰ってキバらんね!」
とその方から言われた言葉が、岳下さんの心を大きく揺さぶりハッとさせられました。
あなたもワタシも一緒だよということ。同じ牛の生産者として「誇りを持って作ろう!」
現在の岳下さんの仕事へ対するスタンスを決定付ける出来事だったそうです。
だから「好きにならんば!」全部の作業が好き、全ての仕事に通じることだと熱く語って下さいました。
出荷した肉の評価が良かった時も、もちろんダメだった時も「よしっ!」という気持ちを持ってやること、
それがやりがい!そしてなによりも「誇りを持ってこの牛を作る。」こと。
現在は岳下さんと父親、そして三代目として岳下さんの息子さんも加わり親・子・孫の三世代で生産されていて
「家族の皆がおるけん支え合ってやっていけている!」と目を細められます。そんな家族への想いと、
牛に対する愛情と感謝を持って生産されている岳下さんのその眼差しはとても優しく輝いていました。
前田博孝さん(49)
前田博孝さん(49)生産歴30年
父親がやっていた牛の生産を自分が継ぐのだろうという想いが元々心の中にあり、迷うことなく
高校卒業後に平戸の種畜場へ1年間の研修に行ってから実家に戻ってこの世界へ入られた前田博孝さん。
「そもそも動物が好きだから今の仕事をやっているんじゃないかな!」と話される前田さんの牛舎の回りには
ペットとして飼われている犬達が走り回っています。可愛らしい牛舎の番人達です。
牛もそんな犬や人間と同じで「愛情を持って接すれば伝わる、仕草で分かる。好きになった分だけ
牛も好いてくれる。」と笑われる前田さん。
「牛の成長を見ていくことが楽しい、自分のイメージ通りにちゃんと中身が出来上がっていた時は
やっぱり一番やりがいを感じます!」その為にはどれだけ手をかけ牛の能力を引き出してあげるかに掛っている。
とは言っても、行事や子牛の競りで自分が居られない時もあり、そんな時は前田さんのお母様をはじめ
奥様、娘さんと息子さん達が手伝ってくれるからやっていけているんです!と前田家全員で支え合いながら
牛を育てられている現在を嬉しそうに話されるその横顔に、家族の温かさと強い繋がりを感じました。
今、息子の淑孝さんは三代目として実家の畜産業を継ごうと志し壱岐のキャトルセンターへ一年間の研修に
行かれています。父から息子へのバトンタッチ、その瞬間ももうすぐなのかもしれません。
この牛達の肉の味をどれだけ言葉で上手に言うよりもまず「食うてみんね!ということです。」
とにかく食べてもらえれば分かってもらえるはずだから!自信が窺える満面の笑顔でそうおっしゃられました。